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zoom RSS 2011.9.25 鉤掛森から黒森(山形・神室連峰)

<<   作成日時 : 2011/09/27 19:31   >>

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岳人の9月号に最上山岳会の坂本さんが書かれた『戦国古道を訪ねる 鉤掛森〜黒森』のミニガイドが掲載しており、兼ねてから興味があったこの古道を山仲間と歩いてきた。
展望は余り利かないが、所々に残るいにしえの古道の痕跡と深いブナの原生林に驚く山旅であった。

【 9/25 鉤掛森(838m)から黒森(1058m) 山形〜秋田・神室連峰 】
秋田・薄久内の大平登山口に車をデポ=SONE車で山形・金山町入有屋登山口〜カゴタテバ〜三角山展望台〜鉤掛森〜檜木森〜948m峰〜923m峰〜黒森分岐〜黒森〜黒森分岐〜県境886m独標〜山の神があった大赤松〜下ミズノミ沢〜大平登山口=マロ7車で入有屋登山口

以前、神室ダムから黒森沢川に沿って有屋峠に抜け、峠から水晶森〜前神室山〜レリーフピーク〜有屋登山口と日帰り周回した事がある。
水晶森から主稜線までの行程は素晴らしいブナの美林帯で、残雪とイワウチワ咲く山道が交錯して、神室連峰の新たな魅力を感じたものだった。
この時の黒森沢川の二股から有屋峠までの道のりは一部手と足を駆使して登る急峻なヤセ尾根であった。
しかし多くの古道を散策した経験から、馬が越えられる道でないことは直感的に分かった。

その後、最上山岳会の会報『神室』の中に「戦国時代の謎の有屋峠」と題された一文を坂本氏は寄稿している。
その内容をここで引用するのは控えるが、過去の文献や現地の地勢に詳しい彼が導き出した自論は、鉤掛森から檜木森を経て黒森を通過するルートが、人馬や大砲一門が通ったと言われる歴史の道にふさわしいというものだった。

その道が復刻したあかつきには是非とも歩いてみたいと常々思っていたところ、今年の1月に初めて山をご一緒したじゅんさんが昨年、新説有屋峠を歩かれたと話されていて、そんな折に今回の岳人誌のガイド文が出た。
これは早速行かねば…と思い、比較的日が長い今回の日程で催行する手筈となった。
(じゃんさんから昨年歩かれた時の資料や地図をいただき、特に分かりにくい登山口と下山口周辺の様子が分かって非常に助かりました。この記事をお借りして御礼申し上げます。)


ここで有屋峠の古道調査に当たった金山町のメルマガ 【森の便り Vol.15 】 から一部引用したい。


有屋地域では、3年ほど前から通称「有屋宝物探し」と題した有形無形の宝物を掘り起こそうという試みを行っています。その1つとして注目されているのが、神室の自然と地域の歴史文化を探る「有屋峠物語」の活動です。平成19年(2007)から始められ、古くは奈良時代までさかのぼる山形と秋田を跨ぐ宮道として開かれた古道を調べ、両県の交流にも結びつけていこうとするものです。
現在の国道13号線であり、主寝坂峠・雄勝峠(杉峠)を越えて院内に向かう羽州街道が開かれる以前、役内と有屋を結ぶ中世以前の「有屋峠」は、神室ダムに注ぐ黒森沢川に沿って、水晶森と黒森のほぼ中間の鞍部を抜けるルートがこれまでの通説になっていました。
ところが、地元に語り継がれる道は、それとは違っていたのです。それが、入有屋から鉤掛森~檜木森~黒森を越えて役内に至るルートです。
いくつかの史料や文献には、馬が通れる道であったことをうかがい知る記述が見られますが、通説のルートでは勾配が厳しく馬足で越えるのは不可能。さらに、古代の峠道のほとんどは、見通しが利いて安全な尾根道であることなどから、実際に使われたもう1つの「有屋峠」の存在がクローズアップされてきました。
 そこで、「有屋峠街道探索会」の矢野光夫さん、笹原忠昭さんを中心として、平成19年(2007)にその一部を、平成20年(2008)には役内までの全ルートを踏破しました。その結果、今では全く使われなくなった道で草刈りなどがされていないにもかかわらず、街道幅3mほどの道が長く連続して残り、馬が歩くための大きなカーブも随所に存在するなど、はっきりした道形が確認できたのです。



【有屋峠の歴史】

@古代 陸奥及び出羽国府開設のために大和朝廷は757年から765年の間に有屋街道を含め雄勝城を造ったたと「続日本紀」に記載されている。蝦夷征伐の足がかりとして機能していた。

A中世 天正14年(1586)5月2日、小野寺義道は旧領回復のため、最上領侵攻の陣触を出した。この時期を選んだのは、最上氏が越後国の上杉氏と庄内地方を巡って争っており、義光が兵力を庄内方面に集中すると風聞しての事であった。
小野寺勢は騎馬1,000騎、足軽5,000人の軍勢をもって5月3〜4日、有屋峠の入口である八口内に集結し、この報を受けた金山城主・金山(丹)与三左衛門慰は急遽山形城の最上義光に援軍を求め、丁度庄内方面へ出向こうとしていた義光も騎馬1,500余騎、足軽10,000余人を率いてこれを迎え撃った。
5月8日午前10時頃、両軍は有屋峠にて遭遇することとなった。
小野寺勢の八柏大和守道為は鉄砲の名手を30人ばかり選抜し、大木の間から最上勢を狙い撃ちにし、最上勢7〜8騎を討取った。
この挑発に乗った最上勢は、細い道を進んだため、小野寺勢は両側から弓や鉄砲で打ち掛け、最上勢は大損害を受けた。これにより、最上勢の先陣である金山与三左衛門は撤退を命じ、この日の損害は小野寺勢の戦死者38人に対し、最上勢の戦死者は1,000人を越えた。
翌5月9日、義光の下へ、庄内方面の東禅寺右馬頭勝正よりの使者が到来、急遽後詰を求める内容であった。この報に接し、有屋峠での合戦は義光の嫡子である義康が総大将となった。
義康が率いる最上勢は奮起し、12日早朝に800騎をもって小野寺勢と激突した。その中でも鮭延秀綱は精鋭100人を選び、大木の上から鉄砲で小野寺勢を狙い撃ちにした。この攻撃により八柏道為も大打撃を受け、この日の小野寺氏の戦死者は500人を数えた。
この損害により、義道は横手に帰陣し、義康も鮭延秀綱と金山与三左衛門に兵を預けて山形へ帰陣した。
この合戦は両者の痛み分けという結果で終了。

B江戸時代 慶長8年(1603)、常陸国より移封された佐竹義宣は、参勤交代などのため難所として有名であった有屋街道の代替として、羽州街道が整備されて金山から北上して雄勝峠を越えるルートが中心になり、有屋峠は間道となった。

だが戊辰戦争で有屋峠は再び重要な役割を負う。奥羽越列藩同盟の仙台藩兵が要衝である金山に進出したのを受け、慶応4年7月11日新政府軍は秋田側より三方に分かれて攻め込んできた。雄勝峠より進軍してきた本隊は、 主寝坂に陣を構えていた同盟軍(仙台・米沢・上山・新庄藩兵)を攻めたが攻めあぐね、長州の桂太郎率いる一帯は鏡沢集落に現れ、 鏡沢を守備していた新庄軍と仙台軍を攻め新庄藩は新政府軍に内通していた為仙台兵は敗走し桂隊は森合峠に進出した。 薩摩と肥前の部隊は役内から有屋峠を越え金山宿を襲撃、金山を守備していた梁川播磨を隊長とする仙台兵は山形、 上山藩兵、新庄藩兵と共に布陣するが、ここでも新庄兵が離脱した上背後より挟撃した為梁川隊長等仙台兵33名が戦死した。
 
有屋峠(街道)には以上の様な歴史があるが、この間道はモータリゼーションの波が押し寄せる以前、昭和初期ごろまでは山形と秋田を結ぶ近道として徒歩で利用されていたみたいだ。
今回の山旅で見つけた昭和初期のブナの切りつけからも行き来があったことが分かる。


前置が長くなったが、今回ご一緒するのはマロ7さん、ebiyanさん、マスさんと私の4人。
あらっ伊達な道の駅で待ち合わせて、車3台で秋田県湯沢市雄勝町薄久内地区の奥にある大平林道終点の登山口に乗り入れる。

途中で峠越えの最終ピークとなる黒森(右)と水晶森(左)が並んで見えていた。
通説の有屋峠はこの二つの峰の鞍部を通る。
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大平登山口からSONE車にて山形県及位経由で47kmの距離を走行し、金山町入有屋の北側にある砂防堰堤の下にある登山口に着いた。山中の歩く距離は10km弱なので随分大きな迂回となる。駐車スペースは5台程度。
登山口は朝霧で視界は100m程度しなかい。

薮っぽい踏み跡を5m程度分け入ると登山口の新しい看板が立っていた。
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ここからしばらくは薄暗い杉の植林地を登る。林業の作業道を辿っているので古道の雰囲気は皆無。
緩登になったところで小さな窪地に太いブナが出てきた。帰宅後に資料を見たらその場所がカゴタテバと呼ばれた場所らしい。江戸時代の参勤交代の折にお殿さまを籠に乗せて越えるときに休んだあとと言われている。

左手に若い杉の植林地を見る場所は尾根が少し痩せている。
西側には端正な三角形の736m峰(一枚平)が見渡せ、下界は一面の雲海に覆われていた。
この時点で遠望できた鳥海山の山頂には薄らと新雪が積もっていた。
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道の脇に白いシメジ形のキノコを見つける。手に取ってみるとアケボノサクラシメジだった。
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雲海の上に島の様に見えるのが大平山。その奥には魅惑の弁慶山が遠望でした。
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鉤掛森には以前から『ふれあいの森』遊歩道が整備されている。私は登った経験はないがブナの森を堪能できるルートらしい。
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やがて道はそのブナ原生林に導かれていく。急な尾根を直登するのは古道にふさわしくないと思って左手斜面を観察したら、急斜面を避ける様に細い道がブナの森に伸びていた。
斜面の下を見ると沼は干上がったみたいな湿地が見えていた。昭和60年頃までは池があったらしく、地元では古来からミズノミバと言われている。

斜面を右に馬足カーブで折り返すと再び尾根に戻る。
尾根を少し登ると右手に展望台の表示があり立ち寄ってみた。
真っ先に見えるのが雲海に浮かんだ月山だった。
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展望台から山頂までは150mと道標にある。
その山頂(三角山展望台・790m峰)にも右折して立ち寄った。
『山頂』の看板と南西側の展望が少し開けただけの場所だった。
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ふれあいの森遊歩道から離れて三角山の北方にある鉤掛森を目指す。
たどり着いた鉤掛森は樹林に囲まれて展望はなく、静かな雰囲気の山頂であった。
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鉤掛森とは面白い山名だが、その由来も愉快なものだ。
『秋田から峠を越えてきた馬喰が馬を木につなごうとしたら、その木の上に男が腰掛けていた。
その男は弘法様だったが、それと知らない馬喰は「坊主よけろ!」と言って退かせた。
弘法様が木から下りると、木が起き上がって馬が宙づりになってしまった。
馬喰は元通りにしてくれ、と懇願すると、弘法様は木の枝で鉤をつくって引っ掛けて元通りにした。
馬喰は凄い坊主だと感心し、それからカギカケモリと呼ばれるようになった。』

鉤掛森からまず檜木森を目指す。いきなり小さな九十九折れの道をどんどん下って行く。
この付近は古道の道形がよく残っていた。

左手が開けた場所で烏帽子山が望めた。ピカピカの大理石の一等三角点のある展望抜群の山頂が思いだされる。
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その左手には丁山地東端の怪峰:男甑山(左)と女甑山(右)が並んで見えていた。
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前方に檜木森が見える。何処が山頂か判別できない程の平頂だ。
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立ち枯れ寸前のブナの巨木の根元を取り巻く様にトンビマイタケが生えていた。
しかし時すでに遅く、半腐れの状態。全部採取できたら末端価格で5万円以上の量だった。
でもこの山奥から全数持ち帰るのは4人でも不可能だったろう。余計な荷物が増えなくて良かったと思おう(笑)
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途中にミズナラとブナの巨木が並んで立っていた。こんな巨木がどんどん出てくる道だ。
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また左手の景色が開ける場所にでた。
尾根の左手・塩根川方面はどうも絶壁になっているらしいが、低木に覆われているので分からない。
北西には鳥海山と丁山地の岩っぽい山が対照的な形で並んで見えた。
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檜木森の看板があった地点は山頂より50m北側。
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雑多な刈払いがなされていたので山頂に立ち寄ったが、三角点がぽつんとあるだけの展望皆無の場所だった。
檜の木は全くなく、何故檜木森の山名が出たかは不明。「セノキ森」と読んでいたのが檜木森になったという説もある。
看板の地点に戻って休憩。マスさんお手製の美味しいケーキ(ブロンディーズ)を食べ、コーヒーを飲んで落ち着く。
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再び坂を下ると大きな尾根筋を行く様になる。辺りはブナの巨木林が延々2.5kmも続いている。
太いブナの木の何本かに、有屋集落の方が昭和初期に掘った切りつけが現存している。
一説にはこの街道は夜這い道だったらしく、有屋の明治期に生まれた古老の話によると、「夜這い道として家の裏から鉤掛森を通って、薄久内まで一晩で行き来したものだ。」と語り継がれていたらしい。
この切りつけも夜這いが成就した証だったのだろうか?(笑)
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途中でブナに「キノコ」と書かれた切りつけがあった。何かのキノコを大量に採った証拠なのかな?
その近くの立ち枯れにヒラタケが生えていた。
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948m峰を越え、標高860mの鞍部に降り、再び登って923m峰を越える。ここでやっと黒森の姿が拝めた。
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黒森山頂が近づくと道は急に笹藪が濃くなってくる。極太のネマガリタケが密集して生えている。
黒森の看板がある地点がこの新説・有屋峠(街道)の最高点で、黒森三角点の北側を通過している。
最近新たに通説・有屋峠までの道が開削された様だ。三角点を経て1.5kmの表示がある。
ここまで来て本日の最終ピーク:黒森の山頂を踏まないと後悔するので、刈払いされたばかりで歩きにくい道を山頂に向かった。

黒森山頂は10名くらいが楽に休憩できる平らな場所で、二等三角点が真ん中にあり、標石にはGPSのチップが埋め込まれていた。なるほど、通説・有屋峠から黒森を目指して作業した方が距離的に非常に楽な作業となるので、国土地理院では新たに黒森〜通説・有屋峠間を道切りしたのであろう。
しかし笹の繁茂状態を見ると、2〜3年で薮化しそうな感じだ。

さて黒森は意外に展望が良い山頂で驚いてしまった。
特に丁山地や鳥海山方面の眺望が開けている。
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南側には通説・有屋峠を挟んで水晶森(手前左)と天狗森(奥)が見えているが、神室連峰の主稜線の山々は雲の中で見えなかった。
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ここまでの間は休憩する場所がほとんどない行程だった。お昼を大分過ぎていたが、黒森山頂で待望のランチとする。その前に三角点を前に記念写真。
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マロ7さんからサンマのつみれ汁、マスさんからアケビの肉詰めをご馳走になった。
海と山の料理を同時に味わえて楽しいランチであった。ご馳走さま。。。
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連休にも関わらず誰もいない、誰にも合わない山頂でゆっくり休んだあとに大平登山口めがけて県境稜線を北に下る。
その前に再度、神室連峰の主稜方面を眺めたら、右手に火打岳の鋭峰が顔を出していた。
ここから見るとえらく距離が離れている様に感じる。
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下り始めの木の上にブナ帯だけに生息するオニクワガタを見つけた。寒くて少し元気がない。
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じゅんさんからに事前情報で黒森〜大平登山口間は薮が濃いと伺っていたが、笹薮にブナの倒木や枝折れが散乱していて、その通過に余計な時間を取られてしまう。

薮に慣れている私が先行しているため、後続を待つ時間が長くなるが、待っている時間に景色を眺めると梢越しに高松岳の姿が見える場所があった。
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大平口に下る支尾根の分岐にあたる866m峰に近づくと薮は更に濃くなる。
適当な間合いで赤テープが付けられているが、それが無ければ北方の出穴森(だすあなもり)方面に迷い込みやすい。実際に平成18年の秋に秋田の方がキノコ狩で遭難した事があるそうだ。

866m峰を右に円を描く様に巻いて狭く急な尾根を下り始める。
上部は笹藪、中間部からは伐採後に杉の植林が行われた低木林の薮っぽい道が続く。
この付近は木々が密生していて古道跡はほとんど分からない。

右下の上水飲沢の沢音が聞こえてくると平坦な場所の太い赤松の木がある。
木の下にオシロイシメジが生えていたが、後から調べてみると、この場所に山の神の石祠が祀られていたらしい。
現在その石祠は大平集落の最終民家近くにある祠に合祀されたと言う。
この民家がある場所が有屋峠街道の起点で番所がおかれていたらしい。

赤松の大木から少し下ると尾根の傾斜が緩み、やがて伐採後に杉が植林された場所に導かれる。
この付近から赤テープを見失い、山勘に頼って適当に薮漕ぎで下った。
すると下ミズノミ沢沿いにある薮に埋もれた登山道を発見。後は簡単に駐車場に出られた。
逆コースで登ったら、尾根への取りつきでの薮漕ぎで断念してしまったかもしれない。

下山口の駐車場にて。5台程度は駐車可能だった。
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ここで翌日も秋田の山に登るebiyanさんと別れ、マロ7さん車で一路入山した入有屋に向かう。
再び47kmの走行だ。
登山口に近いホットハウスかむろの日帰り温泉(300円)に入浴して、薮ぼこりと汗を流した。

温泉の浴室からは最初に登った三角山と鉤掛森が夕日を浴びて輝いて見えていた。
展望はイマイチで、終始樹林帯ばかりを歩く行程であったが、いにしえの古道を歩く時の郷愁感は捨てがたい風情がある。

GPSでは累積標高差963m。歩行距離9.88kmだった。これに薮プラスなのでハードな山の印象が強く、この記事を見て行きたい場合には、山の熟達者の同行が必須と思う。


GPSログです。

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動画です。


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コメント(16件)

内 容 ニックネーム/日時
景観がなくても古道には十分の鼓動が伝わります。
あの雲海は数百mなのに見事な綿飴で、弁慶山地、そして丁山地と見えて感激です。
ヒラタケ、美味しくいただきましたよ。ブナハリタケは残念でございましたネ。
マロ7
2011/09/27 21:08
マロ7さんお疲れ様でした。
車の移動を考えると17時間も活動していた一日でしたね。
今回の道は薮区間はありながらも古道の状態が良く残っていたと思います。
秋田は雲海じゃなかったのに、最上地方は素晴らしい雲海でしたね。
あの腐れキノコはブナハリじゃなくトンビマイタケでしたよ(笑)勿体なかったですね。
SONE
2011/09/27 22:41
SONEさん今晩は。また懐かしい地名を見付けたのでコメント入れさせて下さい。金山町は仕事で通った先でカムロリーベと言う笹谷の渓流ラーメンから暖簾分けされたお店が美味しいです。あの辺りは神室ダムの周囲を走った事がありますが、あの周りの山中とその歴史まで知る事が出来、今回も擬似登山させて頂きました。
翔パパ
2011/09/27 23:47
SONEさんお世話さまでした。
黒森から先は藪の連続でしたが、みなさんと一緒で不安もなく歩き通すことができ感謝です。
きのこ色々勉強になりました。
展望はあまり期待していませんでしたが、所々ですごい景色が見れてよかったです。
ブナもおもしろい形あり、気持ちのよいところあり、
人が入らない所のよさもあって面白いコースでした。
ebiyan
2011/09/28 05:08
戦国時代・やはり極秘に道を開いたなかなぁ・
映画 点の記じゃないけど 「修験道」が色々
道を切り開いてますね・凄い人たちです。
秋田の太平山でしょうか・丁山系懐かしくみせてもらいました。
ク〜と一緒に登った山々・何年前でしょうか・
雄大な鳥海山が目の前にどっしりと構えて見えた
丁岳・・そして火打岳・長い道のりをク〜と登った思い出が
よみがえりました。
巨木のブナ林・旬のキノコと自然のままで残されてますね・
お疲れ様でした。楽しませてもらいました。
ク〜
2011/09/28 07:28
翔パパさんおはようございます。
>カムロリーベと言う笹谷の渓流ラーメンから暖簾分けされたお店は知りませんでした。
渓流ラーメンが美味しい店なので味は保証付きですね。
神室ダムは風光明美な場所ですね。通説の有屋峠は一番左手の沢筋を登って行くのですよ。
歴史を知った上で登る山はより思い入れが深くなるものですね。
SONE
2011/09/28 07:32
ebiyanさんおはようございます。
久々にご一緒できて楽しかったですよ。翌日も登山でお疲れ様でした。
今回は逆コースだったら途中で戻ってしまう程の薮でしたね。
キノコは余り美味しいものが無くて残念でした。途中までキノコ狩と思われる痕跡がありましたけどね。
展望地は少ない山でしたが、普段見慣れないアングルから眺める山々が新鮮に感じました。
最近ではあんな長い時間ブナの森を歩く山が滅多にないので、それだけでも楽しかったですね。
SONE
2011/09/28 07:37
ク〜さんおはようございます。
この道は奈良時代に開削されたので、ここを通った人の数は半端じゃないでしょうね。
その前は蝦夷の文化圏でしたので、狩猟などで使う生活道路だった気がします。
今回は予想外に黒森の山頂を踏めましたが、それは国土地理院の三角点調査の賜物でしたよ。
クーちゃん丁岳や火打岳まで登ったのですかぁ。ここから見える山域にもク〜さんとクーちゃんの歴史があったのですね。
この峠道は今年は我々の他にはほとんど歩いた跡がありませんでした。
来週、遊学の森主催の峠越えトレッキングが予定されているそうですが、あの薮突破は大変でしょうね。
SONE
2011/09/28 07:45
渋い登山をなさいましたね。
山形県の地図をめくりながら写真と見比べ、いわゆる擬似登山をさせて頂きました。
これもまた楽しいものですね。
ところで、先日の笹谷峠から仙人大滝入り口への近道は、廃道であるとのお知らせ
有難うございました。無駄をせずにすみました。
茸の知識は皆無ですが、甑岳の山栗はねらっておりました。でも、今年はあぶないでしょうか。昨年は不作でしたので、今年はと期待していたのですが・・・


momo
2011/09/28 10:29
トンビ、おしいねえ〜!!
タッシー
2011/09/28 17:38
momoさん今晩は。
いぶし銀の山旅でございました(笑)
神室連峰と言っても主稜線からかなり離れた一帯なので、何処なのかちんぷんかんぷんな方も多いでしょうね。
地図片手に記事を読んでいただくと理解できますね。
国道286号の笹谷峠からの道は、2回ほど入口と出口を探したのですが見つかりませんでした。
今年は栗が何処でも豊作の様ですね。ナラ枯れのない地域はドングリも豊作みたいですよ。
宮城の栗でも放射能汚染の基準値内に入っているので問題ないと思います。
キノコに関しては放射性セシウムを取り込みやすいので、その地域の汚染度などを加味する必要がありますね。
SONE
2011/09/28 18:51
タッシー今晩は。
凄い量のトンビだったよ。薮の長距離ルートを夏場の暑い時期に採りに行く気にはならないなぁ〜(笑)
SONE
2011/09/28 18:52
千葉安孫子のシイタケでセシウムが検出されてしまいました。SONEさんのブログできのこは取り込み易い
と聞いていましたがやはり、そんな気持ちです。千葉県のホットスポットは柏市と言われてたすぐ側です。
翔パパ
2011/09/28 21:28
歴史の積み重なった古道でしたね。
藪もキノコもある美味しい古道歩き、魅力的でしたが泊まりの山に負けてしまいました。(笑)
次回の歴史の山よろしくお願いします。
morino
2011/09/28 21:56
翔パパさん今晩は。
千葉県に関しては3月15日と3月21日に第一原発から北東風が吹いて、放射性物質が飛んだみたいなんですよ。
その資料は→ http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-409.html
でも出荷基準値内なのでしょうね。
近いうちにキノコと放射能汚染に関する記事をまとめる予定です。
自分でもキノコ狩りの場所に苦慮しているものですから…
SONE
2011/09/28 22:33
morinoさん今晩は。
久々に意にかなった渋い山歩きができましたよ。
薮は予想の範囲でしたが、キノコは猛暑の影響で完全に生えるのが遅れている印象でした。
晴れた朝日に登れたので、良かったじゃないですか。なかなか晴れ間を狙った山登りが出来ませんでしたからね。
キノコが採れる山を考えておきますよ(笑)
SONE
2011/09/28 22:39

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