東北の山遊び

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zoom RSS 2011.9.30 黒檜山から地蔵岳(群馬・赤城山)

<<   作成日時 : 2011/10/03 22:54   >>

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毎年恒例、愛知の岳友Sakaさんと合流して登る山シリーズ。
今年は天候定まらず、直近まで悩んだ末に群馬県の百名山に登ることに決定した。
初日は午後から雨の天気予報のため、お気軽に登れる赤城山を目指した。

【 9/30 黒檜山(1828m)から地蔵岳(1674m) 群馬・赤城山 】
大洞駐車場〜黒檜山登山口〜猫岩〜頂稜分岐〜黒檜山〜北端展望台〜黒檜山〜頂稜分岐〜御黒檜大神〜花見ヶ原分岐〜大タルミ〜駒ケ岳〜駒ケ岳登山口〜覚満淵〜鳥居峠〜小沼〜八丁峠〜地蔵岳〜白樺牧場分岐〜大洞駐車場

今までは猛烈に渋滞する国道50号を嫌って群馬県の山に足を向けることはほとんど無かった。
しかし今年3月に北関東自動車道の岩舟JCTから太田桐生IC区間が開通し、高崎JCTまで一気に行ける様になったので、群馬の山も一泊の射程圏内に入ってきた。

赤城山は以前、前袈裟丸山に登った時に、長い裾野の台座の上にポコポコとした山を乗せた山容に興味を抱いて、何れ登ってみたいと思っていた。
古い愛車に積んだカーナビの案内で赤城山の大洞駐車場に向かうが、開通して間もない北関東自動車道はDVDに入っておらず、赤城山方面に下道が曲るタイミングの伊勢崎ICで高速を降りた。
しかし現地に午前9時集合にしたため、朝のラッシュに巻き込まれ、しかも赤城山のメイン道路じゃない、えらく細い山道を登る羽目になった。

ここで面白かったのが国定忠治にまつわる施設が見られたところ。
三夜沢(みよさわ)赤城神社の入口を右折して、2キロ近くで忠治温泉がある。
忠治温泉の更に奥に滝沢温泉があり、その谷川の奥には忠治の隠れ岩屋があるらしい。

狭い道幅で何度も屈曲する山道を走行しながら、この山奥を根城とした国定忠治に思いをはせてみた。

「赤城の山も今宵限りか…」
国定忠治が関八州の役人に追われて、赤城の山を下りるときの『名月赤城山』の場面になっている一節だ。
浪曲で玉川勝太郎の十八番の一つとして「天保水滸伝」として演じられてきた。
国定忠治は江戸時代末期、赤城山の麓に広がる上野国佐波郡国定村に生まれた。
昔は関東武士の流れを引く家系だったらしく武道にも長け、寺子屋で読み書きの勉強もしていた。
子供のころから血気盛んな性格で、13歳の時に初めて博打を打ち、身を持ち崩して渡世人の世界に飛び込んでしまう。17歳のときにはいざこざで人を殺してしまったらしい。
その後忠治は上州勢多郡大前田村(群馬県前橋市)の大親分:大前田英五郎の縄張りを受け継ぎ百々村の親分となり、英五郎と敵対し日光例幣使街道間宿境町を拠点とする博徒島村伊三郎と対峙する。天保5年(1834年)、伊三郎を殺しその縄張りを奪うと、一時関東取締出役の管轄外であった信州へ退去し、上州へ戻ると一家を形成する。
相当な人望家でもあったらしく、名うての子分達を二百人とも三百人とも言われるくらい集めており、押しも押されもせぬ関八州に名前の知れた大親分となった。
逸話では金持ちの道楽息子が賭場に足を入れていると、まともに生きるように諄々と諭して帰したといい、百姓の息子がやくざになりたいと言ってきても取り合わず、下働きばかりをさせて、あきらめて帰るようにし向けたとも言われている。
また天保の大飢饉がこの地方を襲った時、賭場の収益金を貧乏人や食うに困っている民百姓に分け与えたとも言う非常に義侠心に強い人間であった。
しかし、やくざ同士の喧嘩なら関八州の役人はいちいち取り合わなかったろうが、天下の法を犯す大罪である関所破りをしたが故に忠治は役人に追われる身となる。
だが長期に渡って容易に捕まらなかったのは、民百姓に日頃から目をかけ助けていたおかげで匿ってもらったからであろう。
しかし、関八州の役人にしてみれば幕府の威信を失墜させる存在である彼に何かと罪状を作り、捕縛に向けて本格的に動き始めた。
そこで身の危険を感じた忠治は、赤城山を降りる決心をして、件の「赤城の山も今宵限りか…」の名セリフが生まれる事となり、こうして忠治は単身会津に落ちのびてゆく。

その後、別れ別れになった子分達は大きな拠り所を失い、次々捕縛され刑場の露となって消えていった。
忠治はほとぼりの冷めたのを待って6年後に生まれ故郷に帰ってきますが、そこにはすでに昔の礎はなく、頼りにしていた名うての子分達もいなくなっていた。忠治自身も中風に倒れ、一時は口の利けないほどになった。
こうしてついには幕府の手によって捕縛され江戸送りになり、関所破りの罪状で張り付けの刑になった。
幾度となく槍を突き立てられたが、弱音を吐くことなく命尽きたと言います。波乱に富んだ生涯を終えたのは忠治41歳の冬であった。


大洞駐車場には8時20分に到着。仙台から4時間20分で着いた。
Sakaさんはこれより50分前に到着していた模様。

思った以上に天気がよく、慌てて登る必要もないので、大洞駐車場に車を止めて黒檜山登山口まで車道を歩くことにする。
赤城山は多くの登山者に登られ、ネット上での情報も非常に多い山なので、門外漢の私の説明も必要ないであろう。これからは写真ペタペタで簡単なキャプション中心に紹介していく。

大沼(おの)湖畔から眺めた地蔵岳。左手が大洞。
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黒檜山登山口からいきなりに急登。露岩が散乱した歩きにくい登山道が延々続く。
少し傾斜が緩くなったところで右手の展望が開ける。ここが猫岩。

大沼の全景と駒ケ岳が先ほどと違ったアングルで眺められる。
半島にある建物は赤城神社。
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猫岩を過ぎると再び岩がゴロゴロした広い尾根の登りが続く。
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途中で南東側が開けた地点があり、雲をまとった富士山の姿が見られた。
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樹高が低くなってくると頂稜が近いことを知る。
直ぐに駒ケ岳分岐、そこを左折して100m歩くと黒檜山山頂に着く。
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広い山頂だが、展望は東側から北東側のみ見えるだけ。
北東には袈裟丸山の連山が近くに見える。
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東側は足利・桐生方面の低山がシルエットになって眺められた。
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山頂から北に少し歩いたところが展望が開けるらしいので、少し距離はあるが北端まで歩いてみた。
すると息を飲むほどの大パノラマが広がっていて驚いた。

先ず目に飛び込んできたのが谷川連峰。
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西側には浅間山(遠景)、榛名山(中景)が遠望できる。手前の山が鈴ヶ岳。
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その右手には四阿山と草津白根山。手前が子持山。
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志賀高原の岩菅山、白砂山、苗場山と既登の山々が懐かしい。

北側には武尊山。岩っぽい稜線がよく観察できる。
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武尊山の右横には笠ヶ岳と至仏山が同定でき、その右奥に双耳峰の燧ケ岳と平らな会津駒ケ岳が確認できた。
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錫ヶ岳の奥にドーム状の山容で見えるのは日光白根山。何故か皇海山と男体山だけ雲がかかっていた。
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この日は午後3時ごろから雨の天気予報で、新潟方面の天気は芳しくないはずだったが、こんなに天気が良く、しかも遠望が利くのは本当にラッキーだった。

展望地で少し休憩して山頂に戻る。ナナカマドの実が青空に映えていた。
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山頂を通り抜け、分岐の先にある南峰まで行く。
そこには御黒檜大神を祀った石祠と石碑があった。近在の方の信仰のピークである。
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この南峰からは関東平野の広大な眺めが展開すると言われているが、下界は霞んで見えない。
富士山も雲に隠れてしまったが、山座同定が全くできない秩父連山の連なりが小沼(この)の上に遠望できた。
見えると言う南アルプスや八ヶ岳の姿は雲の中。
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花見ヶ原分岐を右折すると厭らしい階段の下りが始まる。
行く手には駒ケ岳の姿が見える。
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鞍部の大タルミ付近から黒檜山を振り返る。紅葉は始まったばかりの状態。
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駒ケ岳の山頂の西側を通過して下る。東側が切れ落ちていて谷は深い。
なだらかな裾野を持つ赤城山の険しい一面を見たような気がした。
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駒ケ岳からはクマザサの斜面を降りるが、途中から右折すると一気に高度を落とす鉄階段の道となる。
登りの逆ルートで利用したら苦労しそうな感じだ。
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駒ケ岳登山口まで下るが未だお昼前。
天気もいいし、時間もあるので、地図を見て検討した結果、覚満淵から小沼(この)、八丁峠を経由して地蔵岳に登る事にした。

先ず覚満淵。周囲に遊歩道が整備され池を一周できる様になっている。
水面に小地蔵山の優美な山容が影を落としている。
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覚満淵の東端付近の草紅葉。遠景の山が薬師岳。ちょっとミニ尾瀬っていう雰囲気だ。
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少し東側に登ると鳥居峠に出る。そこのレストハウスに立ち寄って休憩しようとしたらお休み。
以前大好きでよく飲んでいた、赤城山系の天然水を使ったサントリーモルツの水源看板があった。
本当の水源の湧水はここから300m下った地点にあるらしい。
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鳥居峠から山道に入って小沼を目指す。平坦になったところでベンチがあり、黒檜山を眺めながら昼食。
休憩が終わり歩き始め、小沼の写真を撮っていると、幼稚園の園児が遠足とかで大勢歩いてきた。
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小沼から八丁峠までは少しの間だけ車道を歩く。
峠から地蔵岳までは約30分のコースタイム。またまた階段が現れて閉口する。
途中で長七郎山と緑の湖面が美しい小沼を見下ろせた。
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ツツジの木が多い地蔵岳山頂が近づいてくると、何やら子供の声が沢山聞こえる???
すると団体の小学生の遠足と遭遇した。小沼駐車場に駐車していた大型バス5台の正体が分かった。
グループごとに分かれて黒檜山バックに写真を撮っているので非常に時間がかかる。
写真屋さんと子供たちのやり取りが面白いのでしばらく眺めていた。
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地蔵岳は通信アンテナが林立する山頂。とにかく広い山頂の一語。
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一等三角点のある地点にはお地蔵様もあり、ここが本来の山頂と言える。
その地点からは黒檜山と大沼の風景が素晴らしい。
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昔の写真を見るとロープウェイが地蔵岳山頂までかかっていたらしいが、何処に駅があったのかは一切不明。
ロープウェイ利用の観光客がいないので、子供たちが去った山頂は静かだった。

帰路は大洞に直接下る登山道に入る。かなりな急坂を転げる様に下った。
途中のミズナラの木に珍しいミヤマトンビマイタケが生えていた。
このキノコ、過去に2回採取した事があるが、味は元祖トンビマイタケに比べて遥かに劣る。
しかもこの日は旅館に宿泊予定で鮮度が落ちるので採取しなかった。
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午後2時ごろ車に戻り、鎌田温泉の「湯の宿 畔瀬」に一泊した。
源泉かけ流しのお風呂が最高で、値段もリーズナブルな良い宿だった。
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今まで赤城山はハイキング程度の山と思っていたが、箱庭的ながら見どころが凝縮していて、しかも展望が素晴らしい山と感じた。黒檜山、駒ケ岳、地蔵岳の三山を駆けて初めて本当の赤城山が満喫できるのであろう。


動画です。





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コメント(6件)

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SONEさん今晩は。群馬遠征でしたか。時々千葉から仕事で行ってましたがルートを回ると一日500kmも走るので大変でした。赤城山は長野の親戚宅に行くのに仙台からバイク飛ばして通り過ぎた記憶しかないですね。それにしても何時観てもきれいな写真ですね。
翔パパ
2011/10/04 20:37
翔パパさん今晩は。
千葉から群馬までの経路はちんぷんかんぷんですが、一日500kmも走行するのは、車の多い関東では大変でしょうね。赤城山は紅葉やツツジの咲く季節には混雑すると思いますが、今回初めて行って、その良さに気がつきました。伊勢崎市や高崎市を通過するより、赤城の中腹を通過したほうが走行が楽ですね。
SONE
2011/10/04 22:31
サントリーモルツの水源が赤城山系の天然水だったとは…。
ちなみに、塩竈の銘酒は海岸線から数十mの井戸水なんですが。
1年に1回の彦星同士のお山歩き、良かったですねぇ〜。
マロ7
2011/10/05 06:51
マロ7さんこんにちは。
以前四つの天然水シリーズとして売り出していた頃のモルツですよ。旨いビールでした。
今はサントリーモルツとして統合されてしまいましたが、あの頃の技術の蓄積がプレミアム・モルツとして継承されているのでしょうね。
塩竈の銘酒:浦霞は素晴らしいお酒ですね。来年もまた有名山で会う約束をしましたよ(笑)
SONE
2011/10/05 12:54
国定忠治で有名な山・・・
地元の子供達もおらが山なんでしょうね・・
温泉ありで・・忠治は・やはりキズを癒すために
入ったのかな・・?・・この日はお天気もよかったようで・
眺めもよしでしたね・・やはり キノコですね・・(^^♪
ク〜
2011/10/09 11:37
ク〜さん今晩は。
私くらいの年代になると、赤城山と言われて思いだすのは国定忠治ですね(笑)
二人で忠治の話を語り合いながら歩きましたよ。
子供たちの遠足で登られる山になっているので、群馬県民の正に故郷の山なんでしょうね。
眺めは天気予報から想像もできないほど素晴らしいものでした。
キノコは翌日の山もあったので、痛んでしまうので採取しなかったですよ。
SONE
2011/10/09 20:36

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2011.9.30 黒檜山から地蔵岳(群馬・赤城山) 東北の山遊び/BIGLOBEウェブリブログ
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