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zoom RSS 2014.2.6 旗巻峠と不動滝(宮城県・丸森町)

<<   作成日時 : 2014/02/10 19:59   >>

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宮城県最南部の丸森町は秋にキノコ狩りを兼ねて山登りに行く機会が多かったが、福島第一原発の事故以来野生キノコの放射線量が当地域では基準以上になってしまい、震災以来足が遠のいてしまった山域であった。
しかし手軽に氷瀑が見られる不動滝を見たくなって久しぶりに丸森町を訪ねた。

【 2/6 旗巻山(259m)と不動滝&立石 宮城・丸森町 】
●旗巻山:旗巻峠〜第一のため池〜第二のため池〜旧旗巻街道跡の看板〜旗巻山(北砲台)〜旧旗巻峠〜南砲台〜第一のため池〜旗巻峠
●立石:羽入地区〜弾薬庫〜立石登山口〜伐採地〜立石(往復)

丸森町を走行していると福島県から県境を越えて往来するダンプの数が増した。
津波被害により地盤のかさ上げ工事の必要性から、山砂を求めて山間の丸森町がその供給源になっている模様だ。

大内地区から右折して青葉方面に向かう。
ところどころ凍結した道を注意しながら走行して旗巻峠に着いた。
右に天明高原への道が分かれるが、現在この道は工事中で通行止めになっている。
そのゲートのところに車を止めた。
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以前峠の南側の愛宕山と天明山に登ったとき、峠から少し南進すると西側の展望が良かった記憶があるので、徒歩で車道を歩いてみた。約200mほど歩くと鎌倉山が見える地点に着く。
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そして西側にはイヌブナの原生林が残されている手倉山が見えていた。

峠に戻る途中で山頂に何かしらの建物がある旗巻山が確認できた。
今回はネット情報を全く仕入れずに、地形図だけ持ってきたので、果たして山頂までの道があるかどうかも定かでなかったのである。
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峠から北側に派生する狭い舗装道路を歩いて行く。
途中で2軒の民家があり、奥の民家の先から山道に入った。
民家の裏手に少し大きなため池があり、雑木林に囲まれて非常に長閑な感じがする光景が広がっていた。
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ため池の北側に旗巻街道跡の看板が建っていて、左手に藪っぽい道型が確認できた。
帰路に少しだけこの旧道に入ってみたが、ほとんど藪に埋もれて福島側への通行は難しく感じた。

山頂までは枝打ちされた歩き難い雑木林の中を藪漕ぎして登る。
ため池から僅かな距離で呆気なく展望台のある旗巻山の山頂に到着。
三角点は陶器製の変わったものであった。陶器標と呼ばれているらしい。
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この山頂は戊辰戦争の折、砲台を設置した場所として知られ、現在は北砲台との看板が立っている。
浜街道側の展望に優れ、相馬市の市街地が一望できた。
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南側は雑木林で展望は良くないが、梢越しに愛宕山と天明山の姿が確認できた。
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南西方向に整備された遊歩道を200m下ると旧旗巻峠に着く。

旗巻の名前の由来は前九年の役の頃、源頼義と義家親子の軍が安倍貞任を討つために騎乗に旗を立てたまま峠を越そうとしたが、森林が深くて通行の妨げになったために旗を巻いて通ったと言う説。
もう一つの説は、伊達政宗が初陣の時に相馬長門が支配していたこの地を大軍を率いて襲い、金山城から一気に峠の東まで敵を打ち払った。
その後大沢峠からこの峠、天明に至る稜線をもって藩境と定め、この峠を旗巻と命名したと言われている。


そして旗巻峠は別な歴史を持っている。
戊辰戦争の頃、旗巻は中村城を眼下に望見できるところとして仙台藩の重要な戦略拠点であった。
浜街道の駒ヶ嶺城が西軍によって落城した後、この旗巻峠が仙台藩最後の防御線として考えられ、北進する西軍(官軍)の最後の砦であった。
明治元年9月、石田正親率いる仙台藩側は大砲4門、塀1200名を持って守備していた。
亘理地塁山地は東側が急峻な地形のため、西軍は正面からの攻撃を攻めあぐねていたが、9月10日夜の奇襲により一気に山上に迫ってきた。
その後西軍は隊を二分して一隊を北方に迂回させる。
東軍は退路を遮断される危険を感じて旗巻の陣は総崩れになり、陣屋を焼いて大内方面に退却した。
体制を立て直そうとした翌9月11日、仙台から降伏施設が東軍の陣に着いて、仙台藩にとって戊辰戦争中の最後の戦いが終わった。


この旗巻古戦場の碑が静かに赤松の巨木の下に建っている。
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イノシシで掘られた跡が残る旧街道を少し辿って南砲台に登り返す。
そこは周囲が雑木林に囲まれた空間になっていた。
林を透かして僅かに三角形の山容の鹿狼山が見えていた。
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南砲台から適当に薄い藪を漕いで往路の道まで下り車に戻った。


次は冬ならではの氷結した滝の姿が見られる不動滝に向かう。

凍結した車道をゆっくり走行して3台ほど駐車できる駐車場に着いた。
長靴を履いた年配のご夫婦が、途中危険すぎて滝まで行けなかったと戻ってきた。

駐車場から滝まで200〜300mしかないが、途中の山道は凍っていて足場も悪いところがあり、アイゼンもしくはスパイク長靴じゃないと転倒の恐れがある道が続く。

前回訪れた時は滝身に雪が被ってしまい氷瀑の姿が見られなかったが、今回は氷の厚みが薄いながらも凍結した姿が見られて満足できた。
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駐車場に戻り、車道を200mほど登って右側に地蔵滝がある。
こちらの滝はオーバーハングした滝にかかる氷柱が見事な滝であるが、暖かい日が続いたために氷柱は出来ておらず見栄えしない状況であった。
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まだ夕方までは時間があるので、次に丸森町中心部の南東方面、羽入地区にある立石に寄ってみた。

舗装道路終点の広い路肩に車を止めてカメラを持って歩き出す。
自衛隊の弾薬庫を左手に見て、少し先に立石登山口の看板がある。
右折して湿地の木道を歩いていくと、周辺に大伐採が入った立石の姿が見えてきた。
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小さな尾根上に出ると背後に丸森富士(羽山)が一望できる。
その右手に伸びる小富士山まで続く山稜は、稜線近くまで伐採が入っていた。
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薄雪を踏んで急斜面を登ると立石に着く。
高さ12.5m、周囲25mの巨大な岩塊である。
岩肌は卵の殻のようになめらかで、クラックや凸凹がほとんどなくクライミングは不可能であろう。
町の天然記念物なのでボルトなど人工物を使うのは許されない。
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石の周囲からは縄文時代の土器の破片も見つかったらしく、大昔から信仰の対象となっていたと思われる。
町では日本一大きな道祖神と評していた。

以前は一部の展望しか見えなかったが、周囲が伐採されてしまったので展望はすこぶる良くなった。

南側には宮城県随一のハードフリーのメッカとして知られる岩岳の姿が。
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西側には次郎太郎山が大きく見えている。
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そして丸森町の街並みが眼下に見えていて、寒くない季節なら時間を忘れて里山の風景を見たい場所であった。
晴れていれは南蔵王も一望できる山である。
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この日は立ち寄る時間がなかったが、斉理屋敷の観光も含めて訪れれば、より味わい深い旅になっていたと思う。
でもこの日は日中の気温0度で寒すぎた。

GPS軌跡です。(旗巻峠のみ。)
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動画です。




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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは!アップされたブログを見て驚きました。私も8日の日に鎌倉山、不動滝、地蔵滝というルートでまわってきたものですから・・・8日は不忘山に行く予定でしたが、大荒れの予報だったので急遽、丸森に変更したのです。結果、大雪だったので低山にして正解でした!
hisa
2014/02/11 12:10
立石の存在は知っていましたが、山の上にあるんですね。
旗巻峠は仙台藩の戊辰戦争では最後の激戦地?です。
仙台藩兵は「ドンゴリヘイ」と呼ばれ敵が大砲をドンと撃つと五里逃げるって。
そうは思いたくありませんが、敵の戦力は最新でこちらは300年前の装備が大半でしたからね。
いつしか不動滝、地蔵滝に行ったときには凄い氷結でした。
マロ7
2014/02/11 13:32
ここにも戦場跡ですか。山を歩くといろいろな時代と会えますね。
歴史や往時の生活に触れる山歩きは、フィジカルなだけではない満足感を与えてくれます。
常々思っているのですが、登山は体育系というよりは文科系なのではないのでしょうかね。
あっ、独断ですよ。(^^;)
morino
2014/02/11 21:29
hisaさん今晩は。
私の場合はお昼近くに現地に着きましたので、大分時間差があったかもしれませんね。
鎌倉山は東側が伐採されて山容が変わってしまい驚きました。
この日は平地でも風が強かったですから不忘山は大荒れだったでしょうね。
SONE
2014/02/11 21:30
マロ7さん今晩は。
伐採前は立石は麓から同定し難かったのですが、今はぬけぬけと見えるようになりましたよ。
旗巻峠は史跡公園風になっていて、短時間ですが見応えがありました。
>「ドンゴリヘイ」と呼ばれ敵が大砲をドンと撃つと五里逃げるって。
これは初めて知りました。しかし戊辰戦争は東西の兵器の差があり過ぎましたね。
不動滝は凍っていましたが、氷の厚みが足りず見栄えの点でイマイチでした。
SONE
2014/02/11 21:35
morinoさん今晩は。
日本人は山とのつながりが多い民族なので、里山を歩けば何かしらの歴史に出会えますね。
過去の歴史に思いをはせて歩くと、それだけで心が豊かになる感じです。
登山は現代は二極化していますね。トレランなんかは完全に体育会系ですし、峠歩きなどは文科系の分野ですね。
SONE
2014/02/11 21:39
パワースポット立石、頂上までの樹木がすっかり伐採されてしまい、そりゃないだろうと。
小生、とてもがっかりしています。
樹林帯の急斜面を登り切ると・・突然現れる巨石、だったのに。
パワー半減。
震災後にこれは誠に悲しすぎます。
加ト幹事長
2014/02/16 20:22
加ト幹事長さん今晩は。
私も麓から立石を見て、あまりの伐採の酷さに愕然としてしまいました。
おまけに南側の登山口周辺では山砂の採取場所となっていましたよ。
もともと北側はアカマツ林だったので、何れ伐採されるべき場所だったのでしょうが、立石の神聖な雰囲気は全く無くなってしまいましたね。
SONE
2014/02/16 21:42
とても興味深く拝見させて。いただきました。小生、阿武隈川、東部、里山に住んでおりますが当地区に上の蔵、下の蔵と言う屋号の家がありその昔戌辰戦争、の時炊き出しをしておにぎりを作り伊達藩の侍が戦った。という事をおじいさんから、聞いた事があります。
2014/11/2614:00伊具十朗
2014/11/26 12:59
伊具十朗さんコメントありがとうございます。
伊達家において戊辰戦争最後の戦場なので、私も興味を持って歩いてきました。
今でも戊辰戦争時に炊き出しをした旧家が残っているのですね。
よいお話を聞かせていただきました。
SONE
2014/11/26 23:36

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